時間が余っているってホントにいいことなの

悪いことではないんじゃないかなぁと。。。



時間がなかった


「なんでこんなに時間がないんだろ。。。」ということを独立前にはよく考えていたものでした。

「謎残業、謎ミーティング、謎夜食、謎愚痴大会。。。」

といったことも少なくなかったものですし、勤めていた当時はこれらのことに対して「完全悪」とまで思っていませんでしたが、時間はなかったといえます。

夕飯係の日であれば、

「炒め物なら秒でできるから。。。」とキャベツと玉ねぎとお肉が三種の神器のように感じていたものです。

税理士試験の勉強も、

「まとまった時間がない中でどこまで精度を挙げられるか。」といったことばかり考えていたといえます。

大学院に通っていた際にも、

「2回出席したから次は欠席で。。。」などと、時間と単位と教授とのバランス感覚を天秤にかけながら時間をつくることに必死だったといえます。

なので「時間がない。」と、社会人になってからはずっと考えていたものでした。



時間が余っている


などというように、なかったはずの時間。

いま感じるのは「時間が余っている。。。」といった感覚だともいえます。

「電車が遅れていないか。。。」と朝に慌てながらネット検索をする時間もなくなりましたし、性能の悪いパソコンに向かってボールペンを投げつけたくなる感情もなくなったものです。

「大事な書類が見つからない。。。」などという時間の使い方もなくなったといえます。

誰かのために電話を取る時間もなければ、じぶんのために電話を取る時間もなくなったといえるものです。

それこそ「時間がないことに対してイライラする。」といった感情もなくなったといえるかもしれません。

なので、時間は余っているといえます。

ただ「こんなに時間が余っていていいの。。。」とも感じないわけではありません。


余っている時間に生産的なこともしない


時間が余っているので、何をするかといえば事業とは全然関係ないことをしているといえます。

「時間が余っているから、もっと生産的なことをして市場シェアを埋めようぜ。」などとも考えないとものです。

「映画を観ては涙を流すか、共感できない理由をメモアプリに批評し出す。」

「ゲームをやり始めて、いまのゲームのクオリティの高さ(いまやっているゲームは5年前に発売されたものですが)にひたすら驚嘆する。」

「平日にランチができそうな友人なのか知人なのか、わからないひとに声をかける(そのくせに土日の誘いには乗らない)。」

「腹筋ベンチでやたらと腹筋を始める(腰と太ももを痛める)。」

「個人サイトのGoogleからのリーチが5%まで低下してnoteが80%まで上昇していると聞いたから、noteへの移行を検討し始める。」

「ブログで誰のためにもならない謎の内容で発信したくなる。」などと、だれかの役に立ちそうな生産的なことはしないといえます。

ひたすら「じぶんのため」に時間を使うようになるといえるかもしれません。

それこそ、生きている感覚が大学生的にもなってくるといえるのです。

「時間が余っているからギターを練習して、ゲームをしよ。。。」と。

なので、時間が余る状態になると自堕落な状態になっているように見えたりもするかもしれません。

「時間が余っているからあの会社へ、あの資産家っぽいお家へ、飛び込み営業をしよう。」ともならないものです。

「仕事は十分にやってるから、大学生っぽいことをしよ。。。」と、まともなおとなが眉を潜めたくなるようなことをし始めるのです。

そして、そんな大学生っぽいことが意外に、

「世の中はめちゃくちゃ進化している。」といった発見につながり、もっと時間を余らせたい欲が湧いてくるといえます。


まとめ


時間が余り出して、自堕落になれるくらいが心地いいといえます。


【おわりに】

9月は法人税の申告も多くて、今年は他の申告も重なったので、今月は自堕落に生きていきたいなぁと。

まずはポケモンの新作(10/16発売)が発売されるまでに「Ghost of Tsushima」をクリアしなければ。。。


【一日一新】

丸源のゴマたっぷり白胡麻担々麺

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